【朝日新聞】
REPO:みぼりん
DATE:2004/4/16
朝日新聞
【みんな笑顔になれるよう】
『デビュー10周年。7月にUSJで「GLAY EXPO」開催』

始まりは函館の高校生バンドだった。上京、そしてデビュー。今や一晩に何千もの、
ときには20万もの観客が、彼らのロックに熱狂する。一斉に両腕を振り上げている
ファンの親たちは、おそらく知らないだろう。娘たち、息子たちの中にこんなエネルギー
と笑顔があることを。「そのいい笑顔を、父ちゃん母ちゃんにも見せてあげなよ」。
ツアー中、TERUが何度となく呼びかけた言葉だ。
 「10年やってきた意味を教えてくれるのは、記録よりむしろそんなファンの子たち」
とリーダーのTAKUROは語る。
 先月までのツアーは、発売前の新譜「THE FRUSTRATED」の曲を中心に構成した。
確実に会場が盛り上がるヒット曲はあえて控え、まだ誰も聞いたことがない、
どのタイミングで腕を振り上げるのか、お約束もできていない曲をぶつけた。
 「ファンにも戸惑いはあったようですが、GLAYが楽しませてくれないはずがないという
眼差しが嬉しかった。GLAYのメッセージが何なのか、一緒に何を作ろうとしてるのか、
感じとろうという高いレベルのコミュニケーションがあった」

 そんな追い風を受け発表した新譜は、東京スカパラダイスオーケストラ、くず、
同郷のYUKIなどゲストも多彩な14曲。
 ギンギンのサウンドの中で透明な光を放つのは、17歳のときに作った
「無限のdeja vuから」というアコースティックなナンバーだ。
 「いちばん最後に録音しました。技術も環境もなく、ただがむしゃらだった頃の
曲を入れたかった。音楽で生きていきたい、音楽に対して誠実でありたいという
気持ちが詰まりに詰まったまぶしい存在。まっすぐ過ぎるものを見ると、人は
自分を改めて見つめ直しますね」

 さらにこの季節には、初心を新たにしてくれるエピソードがある。「デビュー
間もない頃、あるファンが中学の卒業式でGLAYの曲を歌ってくれたんです。
人生に一度きりの場面ですよ。ミュージシャン冥利を感じました」

 7月31日に催す「GLAY EXPO」も、忘れられないイベントになりそうだ。
大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンを舞台に10万人ライブを敢行する。
「究極のエンターテイメントを目指します。子供も親も、友達同士も、
みんな笑顔になれるような」



【朝日新聞】
REPO:みぼりん
DATE:2002/12/24
朝日新聞
【文化の違い乗り越え 歴史を作りたかった】
北京コンサート GLAY・TAKUROに聞く

「音楽への情熱が老いないようにしたい」と話すGLAYのTAKURO(写真の説明書き)


 日中国交正常化30周年の今年、ロックバンドのGLAYが10月に
北京工人体育場で記念のライブコンサートを行った。入場は無料。
3万5千人以上を動員し、最後は全員で合唱する盛り上がりに。
江沢民国家主席(当時)との会見でも注目された北京公演を
振り返り、リーダーのTAKUROが胸中を語った。


 北京ライブは「歴史を作りたい」というメンバー、スタッフの思いから始まった。
「ビートルズの来日公演は日本のコンサート史にとって革命的だった。
そういう歴史を自分たちで一度は作ってみたいし、今がそのチャンス。
今までためた経験やお金をすべて注ぎ込んでも余りあるほどの夢が
見られると、全員が感じたんじゃないかな」

 日本の歌手による中国公演は以前にもあったが、ロックバンドが
単独で大規模な舞台装置や効果を使い、数万人を集めた前例はない。
ネジ1つの確認に数週間かかるなど、事前の準備は苦労の連続だった。
 その状況が一変したのは、9月に江主席と会見してから。短い言葉と握手を交わし、
サイン入りギターを手渡した。以後、「国家主席とお会いしたロックバンドの方々」と丁重に
応対され、3週間かかった手続きが半日でできるようになった。
 「日本との違いを考えれば、大胆な会見だったかもしれない。音楽は自由であって欲しいけど、
その自由な風が中国の人たちにとって薬になるのか毒になるのかは、まだわからない」

 前半は、着席して様子をうかがう中国の観客と、日本から来た約3千人のファンとの差が
目立った。
7曲目に中国の歌をロック風にアレンジした「歌声与微笑」を原語で歌い、「BELOVED」など
バラード2曲を終えたとき、「これは行けるかもしれない」と口に出してしまうほど、会場の空気が
1つになったという。
 実はその数週間前、中国で20年前から歌ってきた歌手の谷村新司に「下手でもいいから
中国語で話しかけた方がいい」「ビジネスをやるな」などの助言を受けていた。
 実際、ボーカルのTERUが北京語でゆっくり語りかけ、メッセージを読み上げると、
会場を警備する公安警察の表情も和んだ。舞台の隅々まで駆け回り、少年のように
ひたむきに演奏するメンバーの姿に、観客は手を振ってこたえた。
 最後、20曲目の「I'm in Love」では観客のほぼ全員が立ち、徐々に合唱も大きくなった。
 「ほんとに胸が熱くなった」とTAKURO。舞台を去り際、思わず「ウワオーッ」と叫んだ。
 「夢のような出来事でね、あんまり曲順とか覚えてない」と笑う。今月18日に出したライブ
映像は、TAKUROの「始まりですね」という言葉で終わっている。99年の20万人コンサート
後は夢を達成した喪失感に襲われたが、今回は違う。
 「夢を探すことが夢のような世の中で、去年はエキスポでアジアのバンドと共演して、
今年は中国で文化の違いをなんとか歩み寄った。この上ない幸せだと思う」
と感慨深そうに
話した。
 これを機に本格的に中国進出か、との見方もあるが「日本で3千円のCDが数百円になる
国にはきついなー」

と笑って否定。ただ、熱気が冷めないうちに北京でライブをやりたいという。
 「ヒット出して、お金ためて、また行くよ。いろいろ大変だけど、得るものは大きいから」。来年は
2月にレア音源集を出し全国ツアーを予定。その後、台湾のバンド「五月天(メイデイ)」との
共演を考えている。
 最近GLAYは、音楽を始めた頃の気持ちを再確認しようとしている。
 「北京で感じた、あのすがすがしいようなうれしいような楽しいような気持ちを人に説明できる
ぐらい固めようよ、と。そうじゃないと表現者として意味がないからね」



【河北新報】
REPO:まめたろう
DATE:2002/3/21
河北新報 〜ヒットの周辺〜

【恋愛模様 劇的に表現】


 シングルCDのサイズがアルバムと同じ大きさの12センチ盤になりつつある。
この変化は、ジャケット(装丁)のデザインにも及んでいる。超人気グループ、
GLAYが2月27日にリリースした新曲「Way of Difference」(アンリミテッド)は
良い実例である。
 アーティスト写真ではなく、ボタン科の花、紅白のシャクヤクが静物画のように
使われている。デザインしたのは、プロモーションビデオ(PV)の世界では新進気鋭
のディレクター、牧鉄馬氏である。彼は、山崎まさよしの作品やポルノグラフィティ
「ヴォイス」のジャケットデザイン、PVも手掛けてきた。
 楽曲を映像で表現することは、聞き手側のイメージを特定してしまう側面がある。
今回は、「ストレートに曲の素晴らしさを表現した、スチール写真のような、
シンプルかつみずみずしい映像に仕上げた」そうである。肝心の新曲の方だが、
恋愛観察バラエティー番組「あいのり」(フジテレビ系)の主題歌に起用されており、
CD発売前から話題を集めていた楽曲だ。
 いきなり「逢(あ)いたくて 逢えなくて」と歌いだすポップな惜別の歌である。
哀感に満ちたTERUの歌声が、出会いと別れを繰り返す恋愛模様を劇的に表現している。
昨夏の野外コンサート「GLAY EXPO 2001」で、汗をぬぐいながら聴いたロックとは
違う世界である。
 今回も作詞・作曲はリーダーであるTAKURO。彼が作るメロディーには、
日本の音楽のルーツの1つ、北方から伝わってきた悲しい音階がある。
このあたりがGLAY人気の核になっていると思う。彼らの楽曲が東南アジアでも
ヒットしている共通項ではないだろうか。
 カップリング曲の「卒業まで、あと少し」も、このシーズンにぴったり。
ラストフレーズの「もう少し友と呼ばせて・・・」が印象的である。
卒業ソングは数々あるが、この曲もその仲間入りする作品になるだろう。
ジャケットの工夫にもあるように、GLAYはJ-POPのけん引車として挑戦を続けてほしい。




【朝日新聞】
DATE:2001/12/14
REPO:みぼりん

朝日新聞
【夢の先の誇り音に込め】
GLAYが2年ぶり新アルバム [TAKUROに聞く]

「いつもまず、ほかの3人が刺激を与えてくれる」とTAKURO(写真の説明書き)

 この夏、北海道など3ヶ所の野外ライブ「GLAY EXPO 2001」に
30万人以上を動員し、変わらぬ人気を印象づけたGLAY。
2年ぶりの新アルバム「ONE LOVE」は、米国のテロ事件以降、
すべての人に一番感じて欲しい思いを題名に込めたという。
リーダーのTAKUROに聞いた。

「アジアの音楽結びたい」

 94年にメジャーデビュー。前回の「GLAY EXPO」は
99年の20万人コンサートだった。
「人の海の前でやりたい」という長年の夢はかなえたが、
「自分たちのやることを全部やってしまったのでは」
との脱力感に襲われたという。
「あれで1回、GLAYは死んだと、おれは思う」
 翌年、90本近いライブをこなした。久しぶりにデビュー当時の彼らの、
がむしゃらな勢いを取り戻したように見えた。
「3、4年ぐらい前からしばらく、GLAYが個人を追い越してしまった時期があった。
でも、20万人コンサートが終わっても人生は続くという一つの真理が見えて、
たとえGLAYがなくなっても、迷わずに生きていけるようなたくましさを
90本のライブで得た。ふっきれました」

 今年のEXPOを振り返ってTAKUROはいう。
「生まれ故郷の北海道を盛り上げたい、アジアの音楽シーンをもっと結びつけたい
という明確なテーマの第一歩として、21世紀のいいスタートを切れた」

 自己探求型の前作と異なり、新アルバムには、外へと付き抜けた壮快さを感じる。
1曲目の「ALL STANDARD IS YOU」では、「あなたの幸せ願わない日はない」と歌う。
「函館から4人で出てきて10年で勝ち得た、人として本当に誇りに思える言葉。
これからもそういう生き方をしていきたい」

 大半の作詞作曲を手がけるTAKURO。
「音符にすると前と同じようなものでも、込めている気持ちが違う。おれの目標は
『いい音楽人生だったな』と最期に思えることで、そこにたどり着くために音楽をやっていると、
この2、3年でようやくわかった」

 1月15日まで5大都市のドームツアー中。大みそかは4人のふるさと北海道で
カウントダウンライブを行い、今年を締めくくる。



【TOWER RECORDS】JIROスペシャルフリーペーパー
SPECIAL THANKS:わか&律
TOWER RECORDS

[JIRO’S INTERVIEW]

 「ライブで鍛え上げられた“強い”楽曲の集まったアルバムになるだろう。」
TAKUROがニュー・アルバム製作途中だった昨年末に語ってくれた言葉である。
それから1年足らず見事その言葉通り、GLAY史上一番協力なロックアルバム
“ONE LOVE”が完成した。リズムの屋台骨を支え、そして自らもが曲を提供している
JIROもその辺りは同感なようである。
「TAKUROクンは“HEAGY GAUGEツアー”の時から明日にでもライヴでやりたい
っていう曲をリハーサルの時からどんどん持ってきていました。ツアーを90本くらい
やったんですけど、毎日リハーサルが2時間(笑)というのが続いていましたね。
その日のリハーサルだけじゃなく新曲作りもやっていました。」

ライブでの勢いや生々しさがハッキリと“ONE LOVE”から伝わってくることは、
聴いた最初の段階から明確である。JIRO自身も製作初期の時点で既に期待感を
持っていたようだ。

 「デモテープ作りをしてた時にサポートでドラムをやってくれてる人が実家の
関係で田舎に帰らなきゃいけなくなって、スケジュールを取れなかったんですよ。
それで代わりにTERUがドラムを叩いて、デモテープ作りをガンガンやっていたんですね。
そのシンプルさが凄くいいねとか言ってて、それで今回のアルバムはシンプルで勢いで
いけるアルバムにしようって話になりました。そのデモテープで叩いたTERUのドラムの
イメージが相当デカイかもしれないですね。ホント、全然難しいことやってなくて、
“ダカダカ”ってフィルしか叩かないんだけど、勢いは凄く感じるという・・・。」


 バンドであるが故の極みが今作の全てを物語っているのは言うまでもない。
ライヴという現場を通して聴く側にとって何が一番伝わるということを把握しているからこそ
のものであろう。JIROもこの事に関しては多少なりとも外部からの影響はあるようだ。
「今回影響された所でいうと、“ピロウズ”のあのストレートなダイナミックさって
いうのはあるかもしれないですね。やっぱりそのライヴで答えが出るっていう部分で。
彼らも自分達で製作してるだけじゃ満足してなくて、それをお客さんに渡した時に
どういう変化で返ってくることが大きいっていう所を大事にしてるバンドだと思うんですよ。
そういったことが大きいって彼らに出会って感じた部分でしたね。僕もバンドでミーティングして
今回どんなアルバムにするかって言う時に“面倒臭いことはやりたくない。3分台の曲を
やりたい”っていう提案を出したりしました。」


 “ONE LOVE”には18もの曲がクレジットされている。いわゆるコンサートの本編並みの
ヴォリュームである。JIRO本人も「押しつけがましくない。」と言う通り、聴く側も構えることなく
一気に聴き通せる作品であることはお分かり頂けるでしょう。
敢えてJIRO個人のベストチューンはというと・・・
「“VIVA VIVA VIVA”とかは俺が完全に趣味だと思って好きな“ソニック・ユース”みたいに
ああいう不協和音のタッチをイントロで出せたのが単純にうれしいなあ(笑)というのと、
TERUの歌で感動したのが“君がみつめた海”ですね。TERUのヴォーカル力にメンバーで
居ながらも“ドキドキするなあ、いい声だすよねオマエ”っていう感じで。」


 とにかく“ONE LOVE”は早くライヴで、生の状態で実感してもらう以外にないでしょう。
EXPOでの体験又はアメリカで起きたあの痛ましい事件を経てJIRO含めたメンバー全員が
ステージに臨む心境の変化が確実にあるようだ。それをオーディエンス側も受け取ってこそ
“ONE LOVE”というアルバムの意義はより大きなものとなる。
「与えようという気持ちは前とは確実に変わってきますね。ただ楽しくというよりは
何かひとつでも持って帰ってほしいですね。」




【新星堂フリーペーパー「pause」】
100・101号よりインタビュー抜粋

REPO:h@l
新星堂フリーペーパー「pause」
「pause」の編集長さん(早川氏)とは何気に仲良しさんなGLAYさん。
ロングインタビューが2号連続で載っていたので、おもしろかったとこだけ抜粋してみました。


PART1:pause 100号より
――今の所はどうしても「VIVA VIVA VIVA」に人気が集中してるみたいよ。
TA:今度のアルバムの中じゃ「VIVA VIVA VIVA」なんて一番つまんない曲かもよ(一同笑)

――門司での「ヤンバルクイナ」のTAKUROダンスは、しかしキレ良かったねぇ(笑)。
正直驚いたよ。
TA:あの時、ギターキッズの男の子が4〜5人ステージ前に陣取っててさ、俺のダンスが
始まったら口をアングリと開けて、しまいにゃだんだん悲しそうな目になってきてて、
口唇が"なんでだよ…"って動いてんだよ
(一同爆笑)
そっちは見ないよーにしてた
(一同大爆笑)

――「ひとひらの自由」は、最終的にシングルとして結実したのは、やはり想い募ってて感じ?
TA:シングルにする予定は無かったんだけど、TERUがラジオで"EXPO3部作"って
言っちゃったんだよ!しかもインターネット・ラジオとかいって、誰も聴いてなさそうな番組で(笑)。でも言ったからには責任取んないとって思って会社にかけあったら"プレス代が捻出できないので限定でお願いします"って
(一同笑)

――では、EXPOを会場別に伺っていきます。まずは、東京スタジアム。いきなり各界著名人の
メッセージ・コメント映像で驚きました。
JI:場所柄、東京だけどうしてもイベント感が弱かったので、なんかEXPOが始まるっていう
お祭り感を出したかったのね。でも初めてライブ会場として使うから、会場側も不安があった
みたいで、アクロバティックな事は避けて欲しいって感じだった。それで、あのアイディアが
出たんですよ。
でも最初は自分達の友達を集めようって言ってたんだけど、あんまり居なかったの
(一同笑)
ミュージシャン仲間は意外とメイクやらにこだわるから、簡単に撮影出来なかったりして、
最終的にはスタッフに交渉をお願いしました。チョイスは基本的には"自分達が好きな人"です。
…TERUの叶美香さんとか。
(一同爆笑)
――美香さんの方なんだ!(笑)
TE:…(笑)…いやぁ(辛笑)…誤解される…(一同大爆笑)

――さて、衣装の話を。HISASHIは幕張に続いてチャイナ・ドレス風だったね。
HI:動き易さを第一に考えると、どうしてもこれになっちゃうの。あれ、意外に動き易いんですよ。
――そう言えばドクロの指輪、東京はしてたけど他は外してなかった?
HI:ああ、そうそう、なんか指が凄いかぶれちゃったんですよ!(一同笑)
TA:石鹸、落としてないんじゃない?
HI:そうだと思う。ハメっぱなしだといいけど、一旦外して石鹸であらって、その石鹸とかが
付着してるとかぶれちゃうみたいで、今は外してます。

――JIROのサッカーパンツはいいアイディアだったね。なんたって東京スタジアムだし。
JI:あれ、凄い快適だったですよ。ちゃんとpuma(有名なスポーツブランド)のスタッフに
色々な希望を言って、世界で一つの特注品作ってもらった。

――TERUは幕張で真っ赤な衣装だったけど、今年は東京・青、札幌・青、福岡・赤だったね。
TE:やっぱりEXPOは赤だって思って赤は絶対着ようって思ってて、3日間あるから、
"そうだ、青も着よう"って。

TA:キミはすこぶるシンプルな発想をしてるね。(一同爆笑)
――TAKUROはお得意なロック・スタイルを貫いていたね。東京スタジアムがこけら落し
っていうプレッシャーとかはあった?
TA:それは無いけど、俺らから始まってこれから色々なアーティストが使っていくかもしれない
じゃないですか。だから出来るだけ"いいイメージ"を残したいっていうのはあったからん。
ちょうどあの日の前に明石市の花火大会の事件とかあったから、本当にスタッフとは
よく打ち合わせをして、特に警備は万全にしたつもりです。

JI:さすがは元・警備員のバイトの隊長!
――警備員の隊長やってたの?!どこ行ってもリーダーだね!
TA:警備界のカリスマだったから(笑)。あの日も警備の陣頭指揮取ろうかと思ったもん。
血が騒いだ。
(一同笑)

――失敗が名場面と言えば、二日目にTERUがHOWEVER失敗しちゃって、もう1回後から
歌い直したじゃない。あれ凄いオーディエンス感動したと思うよ。ホントにジンと来たもん。
TE:失敗した後にHISASHIが近寄って来てくれて耳打ちしてくれたんですよ。
"こんなもんじゃねーだろ。もう1回やろう"って。メンバーに相談したら、
じゃあ最後にもう1回やろうって言ってくれたんです。

――東京スタジアム2日目、2度目の「HOWEVER」はホントに感動した。歌も演奏も、
もの凄い迫力だったよ。TERUは全身全霊込めた表情だったし。
TE:表情と言えば前にさぁ(笑)…あっ、やっぱいいや(想出笑)。
――なに?!(怒笑)話落とすタイミングじゃないよ!(一同笑)…まぁ言ってみてよ。
TE:あのね、前に誰かの前でスプーン曲げやってたの。でも曲がらないからもの凄い
悔しそうな顔したらしくて、その時に"そんなに悔しがんなくても、キミは5万人を
感動させられる歌があるんだから"って励まされたの。…
(一同無言&大爆笑)
――ハハハハハッ!なんだよ、それ?!(笑)
TA:そうね、キミの歌も超能力の一種だから、気にしなくていいよ(一同笑)


PART2:pause 101号より
――MCでもテルビスさん、言いたい放題でしたね。
TA:テルビスのMCは冴えてたね〜。でもテルビスの言葉を通訳するシーンは辛かった。
だってテルビスの俺への耳打ちって、ただ一言"なんか面白いこと言って"だけ
(一同笑)
全部アドリブだったんだから。


――JIROブースは写真展示だったんでしょう?もうまた新作は撮影してる?
JI:先日、台湾でも撮影してきたし、いつでも撮り続けていますよ。
TE:JIROのカバンはいつでもカメラ入ってるもんね。
JI:そう。俺のカバンはカメラと小説。TERUのカバンはいつでもゲームボーイと
少年ジャンプ入ってますから
(一同爆笑)。あとなんだっけ、けん玉だっけ?(一同爆笑)
TE:けん玉なんて持ってないよ!(一同笑)
JI:あぁ!分かった、ハイパーヨーヨーとミニ四駆入って時あった!(一同大爆笑)
TA:いくつの男の子のカバンなんだよ(呆笑)

――遂に「真夏の扉」も演奏されたね。
HI:なんか演奏が上手くなっちゃってて、あんまり面白くなかったね(一同笑)

――アジアの面々とは楽屋とかではどうやってCOMMUNICATIONを?
JI:音楽と酒(笑)。特に酒ですよ、"酒は国境を越えた"(一同笑)。みんなシャイだから
なかなか会話できないんだけど、酒を飲むとみんな凄い盛り上がりだった。メイデイの
メンバー全員に「ヤンバルクイナ」のダンス教えて一緒に踊ってた(笑)。

――タイランドからはDOMEが参加。
TA:DOMEにはHISASHIと"グッズを作って売って資金稼がなきゃ"ってレクチャーしといた
(一同笑)
"バンドの原点でしょ"っつって(笑)。

――紫雨林は凄い反響あったね。
HI:俺がやってるラジオにも紫雨林の反響は一番届いてる。
TA:日本盤が出るけど実際いいよ。門司で共演した曲も酒飲みながら決めた(笑)。
そういえばJIROんちで紫雨林と焼き肉パーティーやったよね。

JI:韓国の本格派をお招きして焼き肉パーティー(笑)。
TA:TERUが名シェフだったよね(笑)。鍋2つ用意して1つの鍋をTERUがプロデュース
したんだけど、いつの間にかスキヤキになってんの。
(一同爆笑)
TE:ハハハ、名言も出しましたから(笑)。
一同:"目分量は神の味!"(一同爆笑)
――香港のニコラス・ツェーは貫禄あったね。アジアのロックの王道って感じで。
TA:ニコラスは凄い人見知りで、最初なかなか心を開いてくれなくてね(笑)。
でも最後は本当に打ち解けることが出来ました。

TE:凄い笑顔で帰国してったよね。"次はニコラスEXPOだ!"とかなんとか言って。(一同爆笑)

――最後、夜が明けて来て全バンドで「I'm in Love」やった時、今回の"EXPO=GLOBAL COMMUNICATION"
の全てを象徴していた気がして、ホント感動的だった。
TA:今回の成功は、全バンドが心から"意義があり楽しめるイベントだからみんな来て"って
あらゆる所で事前にプロモーションしてくれたり、そういう協力体制の勝利に他ならない気が
します。お膳立てされたフェスに、ただ参加するだけというものではない、新しい形のイベント・
ライブにすることが出来たんじゃないかと思っています。自分がなぜ参加するのかっていう
意義を、出演者個々がきちんと理解した上で参加しているっていう事が、こんなに強い事
なのかって思いました。

JI:北海道の時に、前日にレンタカーを借りて走ってみたんですよ。その時AIR-Gのラジオで
"遂に来ましたね!明日はいよいよGLAY EXPO"みたいな事を言ってくれてて、"今日の雨で
現地はぬかるんでいますから要注意!"みたいな現地の情報を伝えてくれたりして、
地域のみんながその時に向かって協力してくれているんだっていうのが、凄く嬉しかったし
意義があるなって思った。これはもっと頑張らないとって思ったしね。

TE:北海道ではFMとAMが一緒になって特集番組を組んでくれたりっていう、初めての出来事
もあったし、もうGLAY EXPOっていうのが決してGLAYだけのものではないって感じましたね。
日本中を巻き込んで、俺達のメッセージに呼応してくれて、行く場所行く場所でみんなが協力
してくれたりっていうのを俺も凄く強く感じたし、そこに一つの夢を持って出来た事が、今のこの
時期に必要な事だったんじゃないかなって思いました。21世紀の幕開けとして最高の形でした。
やっぱりTAKUROが提示してくれた"GLOBAL COMUNICATION"っていうテーマが、
シンプルで理解し易かったのも凄く良かったんじゃないかなって思います。

HI:北海道のMCでも言ったけど、このEXPOを作っているのはGLAYでありみんななんだって
事だし、スタッフのみんなが苦労して何も無い所にわざわざステージを作って大成功させるって
いうことは、結果以上に達成感があったってイベンターさんとかに言ってもらって嬉しかったですね。そういうチャレンジ精神みたいなものは、誰の心の中にもあって欲しいなって思う。
次のアルバムは「HEAVY GAUGE」同様、EXPOを挟んでの制作になりましたから、
例えば伴奏でない所のギターとか、逆に伴奏としてのギターとかなど、ステージで考えた
様々なことがアルバム制作にいい作用を生むと思います。



【プレイボーイ】TAKUROインタビュー記事
REPO:あいあい

プレイボーイ/TAKUROインタビュー記事
『GLAY EXPO 2001 直前独占シリーズ』
GLAY連続インタビュー  Part 2  TAKURO


「怒鳴りたいことを言えないからロックへの衝動が生まれる」
 2週にわたる連続インタビュー。今号はTAKURO。
女の子がキャーキャー騒ぐバンドのリーダーとは思えぬ
音楽への真剣な態度から、今後はプロデューサーとしての
活動も期待される彼に、これからGLAYがどこへ向かうのかを聞く!


日本領事館さえ動かしたTAKUROの「気持ち」とは?
 GLAYのほぼ全曲にわたって作詞作曲を担当しているのが、
ギターであり、リーダーのTAKURO。「音楽」に対する彼の
真面目な姿勢は、今回のインタビューが
音楽の話に終始したことからも伝わってくる。
「新しいアルバムをつくる時、作詞作曲をすることに関しては
毎回ドキドキしています。ただ、曲ができなくなるということはない。
学生のころから、いつも寝る前にテープを10分くらい回して
曲をためていくのがボクの日課でしたから。膨大なテープの
ストックがあります。20歳の頃のAメロとか25歳の頃のサビメロとか・・・」

TAKUROの作曲術の秘密は、学生時代から録りためたテープにあったのだ。寝る前にテープに曲をためていく毎日・・・。俺たちが寝る前にやることとは大違いだ(笑)。しかし、彼には作曲
ばかりではなく音楽プロデューサーとしての可能性も音楽業界的に期待されている。
最初の487万枚セールス、2年前の20万人コンサートと頂点を極めたGLAYの今後は、
プロデューサー的視点から見たときにどうなるのか?
「自分たちが10代の時に憧れていたバンドは、みな30代前に解散してしまいました。
だから、30代以降のバンドのロールモデル(若い世代にとっての見本)は自分たちで
作らなければいけない。ここ1〜2年で怖いナと思うのは、例えば、アルバムのテーマで
それらしいのを見つけてきて、それらしいツアーをやって『器用にこなしていく』こと。
それがものすごくイヤだった。繰り返しになっていくのかと思うと、うわー、怖いと思いました。」

器用にこなしていくような活動ではなくて、常に新しいGLAYの形を求めていく・・・。
今回のGLAY EXPO 2001でも2年前のEXPOではやらなかった新しい挑戦をしている。
そのひとつがアジア5バンドの招待だ。
「去年、今回のEXPOの話があって、九州の会場では距離的に近いアジアの音楽を日本の
シーンに紹介したいと提案したわけです。ボクは"アジアの音楽シーンはこうだよ"というような
前情報は全然信じていないところもあって、ともかくアジアで活躍しているバンドのCDやビデオ
を100枚以上聴き、知り合いやスタッフみんなに声をかけまくって情報を収集しました」

意外だったのは、各バンドとの交渉をGLAYのメンバーが自分でやったこと。普通、
こういうイベントごとは事務所かレコード会社のトップが交渉して決めてくるのが普通。
ところが、TAKUROは自分の足で出かけた。
「台湾へメイディ(五月天)に出演交渉をお願いしに言った時は、ちょうど李登輝来日問題が
あった頃で、コメントを求められたらどうしようと緊張してましたね。台湾に関する資料や
高校の教科書まで読み直してそのことに対して備えました。日本領事館にもEXPOの説明に
行きましたよ。オレたちのロックは世の中の規範からハズれたものかもしれないけれど、
必ず文化交流面でいいことがあるから許可してくれと」

高校時代の教科書で台湾を勉強し、日本領事館にまで自ら足を運ぶ・・・。俺たちはそんな
面倒なことはゼッタイにやらない。TAKUROのEXPOに対する真剣な姿勢が感じられる。
「向こうへ着いて、決まっているのは『午後9時、夕食、』それだけ(笑)。メイディと合流して
EXPOの趣旨をザッと説明したら、『あとはメンバーさんだけでよろしく』と言われて、残ったのは
メイディのメンバーと通訳とオレたちだけ。メイディのメンバーは、現地ではスーパースター
だから忙しくて短い時間のなかでオレたちの気持ちをわかってもらわなければならない。
通訳の方がいたんですが、間に合わないのでカタコトの英語で一方的に熱く説明しましたよ(笑)」

メンバーと話せるのは2回だけ。TAKUROはブロークンイングリッシュでEXPOの意義を
説明し、共演をオファーした。こういう「気持ち」で相手を動かすところがGLAYらしい。



「アジア進出はありえない。洋楽コンプレックスがないから」
初めに書いたように、音楽プロデューサーとしての可能性も音楽業界的に期待されているTAKURO。
今回のEXPOでアジアとの繋がりを強めたことからアジアのアーティストのプロデュースという
視点も入ってくるのでは?
「アジアの可能性・・・。でも、音楽的に見ると例えば香港は英国領だったし、歴史上いろんな
国の影響がアジアにはありますよね。だから、アジアから見れば日本は彼らの視野に入る
ひとつの国でしかないと思うんです。多くのアジアの国は英語と母国語のバイリンガル。
台湾に至っては英語、北京語、広東語、日本語と4カ国語の表現力がある。かつてはアジア
の音楽というのは、演歌かバラードか民族音楽かアメリカの古いロック・・・というのが通り相場
だったけど、今の韓国のヒップホップは日本を凌駕するコトバのノリを持っているし、
日本のほうが学ぶことが多い気がする。アジアに行って感じたのは、
『目指すものがある』という国の国民が持つ強さ。
そういう意味では『日本はゆるやかに滅んでいる』と思います」

ゆるやかに滅びる日本を飛び出してアジア進出もありえる?
「いや、アジア進出は本当にないですよ。洋楽コンプレックスがないですもん・・・。タイや台湾も
行ってみたけど、ここであえて表現することは何もないと思った。欧米進出もない、というのは
モチベーションの問題です。NYに立ってるだけで感じます。オレがNYでやることは何もないな、と。米南部でも、オレがここで発するメッセージはないと思った。それより、九州でアジア各国
との掛け橋となって怒鳴りたいことはある・・・。怒鳴りたいことがうまく(会話で)言えないから、
音符の力を借りてロックへの衝動が生まれるんです。」

怒鳴りたいことがなくなったらGLAYは解散してしまうのだろうか。
「いや、GLAYは50歳、60歳、70歳になってもやっていきますよ。やめる理由がないもの。
本来、30代というのはいちばん面白い時期なんだけど、ジュディー&マリーもLUNA SEAも、
先輩バンドはみんな解散してしまって淋しかった。音楽で集まった人たちの着地点はさまざま
です。でも、オレたちは『友達』が集まってるからみんなで劇団を作ってもよかったし、みんなで
小説を書くのでもよかった。ワイワイ騒いでいることができればそれでいい」

怒鳴りたいことがあるからGLAYであり続けるのではなく、ワイワイ騒ぎたいからGLAYであり
続ける。EXPOは、そのワイワイ騒ぎにファンたちを巻き込んでしまおうというイベントなのだ。



********************************************************
「音楽では言葉の違いなんて関係ないと思う」
Nicholas Tse・香港

ニコラス・ツェー
ニコラス・ツェーは香港のスーパー・スターだ。アルバムのすべてがヒットチャートに入り、
数々の賞を受賞。同時に映画の主演もこなす。では、アイドルなの?と思えば、ほかの歌手の
プロデュースも手がける。付け加えると、彼がフェイ・ウォンの恋人であることは有名な話であり、
なんと彼はまだ20歳なのである・・・。
「今回のGLAY EXPOは、みんなに僕のことを知ってもらうというより自分が知らないことを
経験できるという楽しみのほうが大きいね」

落ち着いた考え方ができる彼。アルバムのなかでもハードロック、バラード、
オーケストレーション・・・
様様な角度から自分を表現する。自己満足に走らずにファンを楽しませる力があるのだ。
では、日本の人たちに自分をどう受けとめてほしい?
「みなさんの心のなかにぽつんと何かを残せればいいね。2年後くらいに、『そういえば香港の
若い奴が歌ってたな』という程度でもね(笑)」

ただ、言葉の壁はどうしても避けられないもの。彼は、それをどうやって乗り越えようとしてるのか。
「言葉なんて関係ないと思う。それが音楽の素晴らしいところだよ。人と人は瞬間に理解し合えるんです。視線さえ合わせなくても実は人と人とはコミュニケートしている。僕にとっては言葉は
壁ではないんです。
僕たちも日本語はわからなくてもGLAYはやはりすごいと思うしね。来てくれた人も、
僕を含めアジアのバンドが音を出した瞬間に僕らのことが理解できると思う」

プライドを持ちながら誠実さを捨てない。その凛とした存在感、福岡でその勇姿を見せてくれる。
もちろん、香港の代表として選ばれることはとてもうれしいと微笑む。



********************************************************
「GLAY EXPOの話を最初に聞いて『絶対、だましだ!』と思った」
DOME・タイ

ドーム
短くカットしたクールなヘアスタイル、たくましいボディに精悍な顔立ち。怖いヤツかと思ったが、
握手をすると「Hi!」と明るい笑顔が返ってきた。パューン・ラム、彼がDOMEの中心人物。
そこに「キレ味抜群のギターを弾く」と、TAKUROが太鼓判を押すギタリストのマン、
そしてターンテーブルを操る日本人DJのマアが脇を固める。
彼らのサウンドは、いわゆるミクスチャー・ミュージック。ハードコアなサウンドもあれば、
メタルを感じさせる展開もあり、バラードも歌い上げる。「DOMEはいつも変化するんだ。
みんな飽きっぽいしね」とマンが言うと、「絶えず新しい音を追求していくこと、それが
DOMEなんだ」とマアが言う。「だから来年はタイの民謡をやるかもしれないぜ!」と、
マンはいたずらっぽく笑う。ラムにEXPOへの出演依頼を聞いた時の感想を聞いてみた。
「実は、その話を伝えてきたのがタイで放映されている『びっくりテレビ』(タイでも日本と
同様の番組があるらしい)の関係者だったので、『これは絶対だましだ!』と思ったんだ(笑)
でも、それが本当だと知って驚いちゃった」

そう言って彼は無邪気に笑う。実際に、TAKUROに会った感想を聞くと、丁寧な口調で言った。
「人との接し方がとてもシンプルでフェア。初対面とは思えない気さくな人。
僕は『真心』というものを生きる上での心情にしているけど、TAKUROさんに会った時、
彼にも『真心』を感じたんです」

TAKUROに会った瞬間にこのイベントが素晴らしいものになると確信したという。
福岡でのEXPOの日にDOMEとGLAYを結んだ「真心」がどんなふうにステージに
反映されるのか楽しみだ。



【プレイボーイ】TERUインタビュー記事
REPO:あいあい
プレイボーイ/TERUインタビュー記事

『GLAY EXPO 2001 直前独占シリーズ』
GLAY連続インタビュー  Part 1  TERU

「俺たちだってそろそろ"人のために"活動がしたい」
2年前に幕張で20万人を集めたGLAY EXPO'99に
引き続いて今年の夏はGLAY EXPO 2001 
GLOBAL COMMUNICATIONを東京、北海道、福岡の3カ所で行う。
不可能とさえいわれた3カ所での大規模野外コンサート、
"GLAY EXPO"に彼らが挑戦していく本当の理由をTERUが語る。
俺たちがEXPOに行ってやるべきコトも含めて・・・。


「GLAY EXPOでナンパをしてほしい(笑)」
TERUはブラウン管で見る限りでは「いいヤツ」ふうだが、会ってみると
なお「いいヤツ」だから驚く。男が見てもなんとなく、その存在の持つ
空気感に好感を抱いてしまうタイプ。EXPOではメンバーの個人ブース
もあるのだが、そんなTERUのブースには何が展示されるの?
「俺は絵が好きなので、シルクスクリーンというやつですが、これまでに
描きためた絵を主に展示します。2年前のEXPOで展示した30点にプラス
して計40〜50点になりますね。あと、Tシャツに自分が描いた絵をプリント
したのも飾ります。」

ちょっと聴きにくいことを聞いてみたい。ビジュアル系といわれるのを嫌がるバンドも多いが、
ビジュアル系と呼ばれたバンドは女性ファンのものだった。週プレの男性読者は
GLAY EXPOをどう楽しめばいい?
「ナンパしてもらいたいですね。お祭りなんですから。ライブで出会って結婚しました・・・
という便りが最近ポツポツくるようになっているんです。EXPOっていうのは出会いの場
でもあるわけです(笑)」

でも、彼女たちになんて話しかければいいの?
「『GLAYはよく歌うんだ。今度カラオケなんかどう?』ですかね。
・・・あとは自分でがんばってくださいよ(笑)」

そりゃそうだ(笑)。
「ただ、ここへきて男性ファンが多くなりましたね。コンサートでも3対7の男女比です。
今までは女性パワーが強すぎて男性はチケットがゲットしにくかったと思うんですが、
最近はファンクラブにも入ってもらえるようになりました。
やはり社会人で同世代の男性が多いですね」

前回の幕張での20万人ライブを振り返って思うことは?
「"みんなで協力しあうと、不可能なことが可能になるんだ"ってわかったことが一番
大きいですね。俺たちメンバーは『絶対に20万人は集まらないよ』からスタートしてましたから。
全国からファンのみんなが集まってくれたという感謝の気持ちがあったからこそ、昨年一年間は
『俺たちが全国をまわろうぜ』となったんです」

GLAYに限らず、例えばB'zなどもそうなのだが、一旦、頂点の座を極めてしまうと、その後、
一体何をやっていくかが気になる。GLAYはアルバム487万枚突破、前人未到の20万人
ライブと、やれることは全部やってしまったのだが・・・。
「チャレンジ精神だけは持ち続けていかないと。去年はホールツアーをやって、21世紀は
野外でやりたいといってたんですが、まさかこんなおおごとになるとは(笑)。最初、北海道が
元気がないから、何かしようとは言っていたんですが」

地雷絶滅キャンペーンソングへの参加も"チャレンジ"のひとつかもしれない。
「ZERO LANDMINE〜NML」。坂本龍一が発起人であり、GLAYも参加した
地雷絶滅キャンペーンのための曲だ。参加の経緯は?
「『NML』は、ちょうど俺たちも30歳を越えてこれからは大げさにいうと少しは人のために
役立つというか、そういう価値観で活動ができたらなあ・・・と言っていた時だったんです。
参加して初めて地雷に関する資料を見たり、インターネットでサイトにアクセスしたり、
TBSの特別番組に出たりして、もっともっとがんばって協力したいと思うようになりましたね。
でも、大々的にやるというよりも、サラッと"GLAYもやってます"というふうにしたいですね。」



「これからもGLAYはPOPなものを追い求める」
GLAY EXPO 2001は3カ所のうち、九州でやる時はアジアの玄関口という発想から
アジアのバンドと共演しよう、ということになった。
「アジアのバンドに関しては100本以上、CDやビデオを聴きまくりました。例えば香港の
ニコラス・ツェーは最初はポップシンガーだと思っていたんですが、ステージを見たら髪は
モヒカンにしてるし、熱いし、目指している方向がGLAYと似ているんじゃないかと思って決定。
共演をお願いしました」

福岡公演ではアジアから5つのバンドが出演するが、その交渉のために現地へ行ったのは
TERUとTAKUROだった。
「日本から見るとわからないんですが、みんな現地ではスーパースターでものすごく
忙しい人たちなんです。でも、なんとか会ってくれて朝まで一緒に飲んだりしました。
みんな音楽好きで、持っているものが温かいんです。
どのバンドとも会って5分くらいで打ち解けました」

朝まで何を語りあったのだろう。
「最近、どんな音楽聴いてるの?とか音楽を中心に話題を持っていくと話しやすいですね。
あと、みんな同世代、20代後半から30代前半というのが大きい。台湾の五月天が
トップバッターということ以外は、出演順とかはまだなにも決まっていないんです。
セッションも当然あると思いますよ。オールナイトでやって、最後は全バンドで朝日を見たい。
九州は『みんなで朝日を見よう』というコンセプトなんです」

いよいよGLAYもアジア進出?
「いや、そういう表現をすると壁をつくってしまうことになるんです。せっかくみんなと友達関係に
なれたのだから、アジア進出ではなくて、ツアーの一環で福岡の次は台北、みたいな感じで
やっていきたい。彼らのツアーに俺らも飛び入り的に参加したいし。政治でギクシャクしている
部分とかを、俺らは音楽で風通しをよくしていけたらなと思っています。だって韓国は、福岡から
飛行機でわずか55分の距離ですから」

全国3カ所でのGLAY EXPOという大イベントを成功させて、頂点を極めたGLAYの
今後の夢は?
「実は今日もそういうミーティングをやってたんです。GLAYはGLAYであり続けたい。
そしてGLAYの『POPなものを追い求める』という基本精神は変わらない。それはとっても
困難ではある。TAKUROが言ったんだけど、『砂漠の中から一本の針を探すようなもの』。
だけどGLAYの4人だけが築きあげられるもの、解散してもしなくても、なにか4人でやってるだろう、と思える絆のようなものはあります。ハードロックやバラードといったいろんなジャンルの
曲調を取り入れても、『何をやってもGLAYになってしまうね』といわれたこともある。
それは反面、違うことが出来ない不器用さともいえるんですが・・・。これからも音楽を通して
人を思いやる"愛情"がGLAYにあり続ければ、なにをやっていてもいいと思います」




******************************************************
「そもそもロックは言葉の壁を越える音楽だと思う」
MAYDAY・台湾

五月天
メイデイは台湾のバンドの中で最もよくカラオケで歌われるバンドだ。メンバーのニックネーム
にも怪獣、石頭、なんていうのをつけている。そんな飾り気のないキャラと親しみやすい
メロディ、そして一体感あふれるライブが彼らの人気を台北で不動のものにした。
そんなメイディをセレクトし、イベントのオープニング・アクトに指名したのはTAKUROだ。
「TAKUROさんはアジアのバンドの中から、僕らのライブCDを聴いた瞬間に『キミたちの情熱
が伝わってきた』と言ってくれた。それと、『メロディが素敵なので日本人にも聴かせたい』と。
とても光栄です」
(ボーカル・阿信)
しかし、何万人もの人々、それも自分たちのことを初めて見るひとばかりなので緊張してると
彼は言う。
「でも、そもそもロックは言葉の壁を超えれる音楽だと思う」
すると、ギターの怪獣が続ける。
「そう、ロックバンドはたくさんあるけど、なかでもGLAYは凄い。彼らは自分たちの世界を
きちっと持っていて、それを確実にリスナーに伝えることができる。彼らのような姿勢なら
言葉は違ってもメッセージは伝わる」

質問を変えて、日本の若者を見てどう思う?と問えば、日本の若者はとても自由だと、
ボーカルの阿信。
「台湾の若者は社会的にストレスがとても多いよ。特に、将来の不安・・・」
でも、それは日本人も同じじゃない?日本人のどこが自由なの?
そう聞くと怪獣は答える。
「渋谷のストリートで歌っている若い連中を見たんだ。誰も見てなくても、ひとりで楽しく
歌っていた。自由とはそういうことじゃないかな」

メッセージの内容や種類が違ってても伝えたい気持ちは同じ。彼らがどんなふうに
俺たちに歌いかけるかに期待したい。



*******************************************************
「友達と会うような笑顔で話すGLAYの清々しさに大いに感動した」
Jaurim・韓国

紫雨林
「全然、洋楽だよね。つーか、イギリスっぽい」と、JIROが評価し、「ヤバいよ、食われるかも」と、
TAKUROが驚愕する。アジアの奇跡のようなバンド、それが紫雨林だ。
「黒でもない白でもない。かといっても灰色のGRAYとはスペルが違う、そんなGLAYのイメージ
と、紫の雨が降る林・・・という朦朧とした私たちのイメージは似てる」
と、紅一点のキム・ユナが
言う。
「そうした静かなサウンドの中で、偽りのない歌を歌うこと、それが私の音楽なんです」
美しい凛とした微笑で彼女がそう言うと、ギターのイ・ソンギュが付け加える。
「それと同時に、これこそが紫雨林という決まりはなにもない。僕たちの音は絶えず
変化し続けている」

きらめくギターワーク一辺倒かと思いきゃ、曲ごとにあらゆる表情を見せてくれる変幻自在な
リズム。
これらは音楽に対して、生き方に対して柔軟な姿勢を持っているがゆえになせる技。
同様の柔軟さを彼らはGLAYにも見たという。
「GLAYという最高峰のアーティストが自らやってきて僕たちに話しかけてきた。
それも慣れ親しんだ友達と会うような親しい笑顔を持って。
その清々しさには大いに感動したんだ」

ドラムス担当のク・テフンは確信をもって言う。そして、ここでGLAYがやろうとしていることが
いかに大切なことかをベースのキム・ジンマンは言う。
「欧米では国境を超えたロック・フェスティバルはたくさんあった。でも、アジアのバンドを
一堂に会してのイベントはこれが初めて。『アジアの夜明け』といってもいいのでは」

GLAYと紫雨林、彼らのゆらぎあう感性がアジアに朝焼けをもたらすのかもしれない。




【朝日新聞】TERUイラスト&コメント
REPO:みぼりん
DATE:2000/1/1
朝日新聞/TERUイラスト&コメント

 最近、電化製品がどんどん携帯化されていく中、テレビもどんどん携帯化されていますね。
でも、昔ながらの風物詩として、テーブルを囲み、一家だんらんには欠かせないのが
正月のテレビ番組だと思います。家族のコミュニケーションをとる場としても一役かっている
テレビというものは、これからも、時には情報源となり、時には憩いの場であり、
時には感情をも動かしてくれる、人との密着度の高いものであって欲しいと思っています。
 音楽も一緒で、人の心を動かしてくれたり、考えさせてくれたり、普段、あたりまえの生活を
していたら気付かなかったことに気付かせてくれたり。僕たちは、そんな音楽を目指して
頑張っています。
自分もそうなんですが、新世紀を迎え何か自分にとっての新しい出来事を探し始める人が
多いと思います。
そんなきっかけをテレビが提供してくれることを、これからも期待したいと思います。




【朝日新聞】
オノ・ヨーコ&GLAY・TAKUROのHAPPY Xmas 2000

REPO:みぼりん
DATE:2000/12/19
オノ・ヨーコ&GLAY・TAKUROのHAPPY Xmas 2000

“ヨーコとTAKURO「ジョン・レノン」を語る”
 GLAYのTAKUROがオノ・ヨーコとニューヨークのヨーコ宅で対面した。
その模様を収録した特別番組「オノ・ヨーコ&GLAY・TAKUROの
HAPPYXmas 2000」が、23日午後9時からニッポン放送で放送される。
TAKUROにとってジョン・レノンは最も敬愛するミュージシャン。
その20回目の命日である12月8日の前日に、ジョンとヨーコが暮らした
ダコタウスを訪ねた。
 リラックス出来るように、というヨーコの配慮からダイニングキッチンで
顔を合わせた二人は、予定の30分をはるかにオーバーする1時間半に
わたって語り合った。
 緊張気味のTAKUROが「ジョンの魂で人生が変わった」と告白すると、
ヨーコは、ジョンとの思い出、12月8日の意味などを話したうえで、
ジョンが名曲「イマジン」を作った白いピアノを置くホワイトルームに案内。
感激するTAKUROと二人で記念撮影をした。
 番組は、ジョンの大ファンであるTAKUROとスタッフの熱意で実現した。
担当したニッポン放送編成部の吉田雄生副部長は「僕らもジョンに触れた
気がしました」。
 また、ジョンにささげるメッセージとして、GLAYの未発表曲も
番組の中で紹介する。




【西日本新聞】HISASHIインタビュー
REPO:みぼりん
DATE:2000/8/23
西日本新聞/HISASHIインタビュー
記:シングル『ROCK ICON』の中に「17の憂鬱」という歌詞がありますね。
青少年の犯罪が続発してますが、今の十代にどんな印象を持ってますか。

HI:どこかデジタルな冷たさを感じますね。夢中になれるものを、
もっと自分で探せばいいのに、と思う。だけどライブに来てる子は、
いい顔してる。違う次元でああいう事件は起きているんじゃないかな。


記:自分が十七歳の時は何してましたか。

HI:TAKUROがすごく魅力的だったから、一緒に遊んでバンド
できたらいいなって。だけど(北海道・函館の)高校卒業するまでに、
音楽を遊びで終わらせられず、TAKURO・TERUと一緒に
東京に来たんです。


記:結構下積みも長かったんですよね。GLAYみたいに地方で
バンドをやっていて、東京に出たい人たちに何かアドバイスを。

HI:そうですね、「西武線(沿線)に住め!」。

記:どうして?

HI:家賃が安いから。
(スタッフまで爆笑)。僕らがそうしてた。
だから、初めて西武スタジアムでライブやったとき、
ホームグラウンドに帰ってきたって感じがしましたもん。ただ今は、例えばこっからでも東京に
ラーメン出前できるぐらいの距離の近さとか、情報の早さを感じる。東京って地方からでも
かなり分かりやすい場所になったんじゃないですか。


記:福岡で初めてライブをしたときのこと(六年前)覚えてますか。客は五十人ぐらいだったとか。

HI:覚えてますよ、あの時初めて、二回目のアンコールをやったんですよ。
曲なかったんで、本編で一回やった『彼女のModern・・・』を。ロックの街だという
イメージはあったし、そういう気持ちとお客さんの勢いが、一緒だったんじゃないかな。


記:新作『とまどい』『SPECIAL THANKS』の聴きどころはどこ?

HI:バラードの底辺をどのくらいロックっぽくするかっていうとこですね。
サビが来て、当たり前のようにメロディーのギターを弾くっていうのは、
甘くてやだった。あえて曲に毒を塗るっていうか。もしそういうものがなければ、
GLAYってつまんないと思いますね。


記:今、GLAYの中で何か新しい取り組みは?

HI:自分たちで問題を作って、その壁をどう壊していこうかという作業を毎回やってる。
幕張の二十万人ライブにしても、だれもやったことがないことに挑戦することに、
僕らのバンドとしての意義がある。それくらい難しいことをこなしていかないと、
多分おれらって、バンド飽きちゃうと思うんですよ。



【BACK】